乳がん治療手記11

FEC1回目

2005年9月8日(木)   FEC1回目、デカドロンを半分に

今日からいよいよFEC開始。タキソテールでは全く出なかった吐き気も、FECの中のE、エピルビシンで頻発するようで、今からちょっとビクついている。ゲロゲロ吐くようなことになったらイヤだなあ......

今日は相棒も付いて来てくれる。母も来たい言うので3人で連れ立って病院へ。今日の白血球数は5200。

今までは、投与日にいつも診察室にあるエコーでしこりを見ていたんだけど、今日はそれはせずに、
「来週血液検査で来て貰う時に、エコーの検査も受けて貰いましょうか」
と言われる。診察室にある機械よりも性能のいい超音波室にある機械で、タキソテールの効果があったかどうかを詳しく見る為らしい。

「あのー、デカドロンって、ステロイド剤なんですよね。これで胃が結構荒れると聞いたんですけど、胃の調子が悪いのは、そのせいということはないですか......?」
「かもしれないねぇ。半分に減らしましょうか」
ということで、今までの1回6錠を3錠に減らして貰った。半分にしてしまって、副作用が強く出るんじゃ、と心配もあったけど、いつも、多いよなーと思いながら飲んでいたので、半分で試してみてもいいかな。

「それと、ムコスタ錠3週間分もお願い出来ますか」
前回は10日分で足りなかったので、念の為。吐き気止めは、前のを全く使ってないので、いざという時はそれを使うことにする。

次週診察とエコーの予約を入れて、いつものように血圧を測ってから、3人でぞろぞろと化学療法センターへ。個室で待っている間、FEC初回ということで、看護師さんが簡単に説明してくれる。3種類の抗がん剤を連続投与なので、タキソテールよりも時間が掛かるんだろうなー、と思っていたら、
「タキソテールよりも短いですよ」
と言う。タキソテールはゆっくり点滴を落としていたけど、FECの主役のエピルビシンは、かなり早く落とすのだそうな。

副作用はやっぱり、吐き気が出るみたいで、
「明日辺りから、胸がムカムカとつわりみたいな状態になりますねぇ」
ということで、覚悟してた方がいいみたい。
「お腹が空くと吐き気が強くなる人が多いので、その前に何かお腹に入れるようにした方がいいかもしれませんね」
ということだった。

そして点滴台に下げられる袋を見て、ゲッ、と思う。その中の一つが「赤い抗がん剤」、エピルビシン。きれいな赤、とはとても言いがたい、鮮血を薄めたような赤。見るからに、攻撃的で何とも毒々しい色。
「これ見るだけで、気持ちが悪くなる人もいるんですよー」
と言う看護師さんのお話にも納得。見かけ通り、がん細胞をしっかり攻撃してくれますように。

手術まで左腕はとっておこうと思っていたんだけど、採血も点滴もあんまり右ばかり使って血管に支障が出たら、と心配になって来て、結局右2回・左1回というパターンがいいかなーと、今日は左に刺して貰った。

吐き気止めとアレルギー止めの後、まずは5−FU。そしてエピルビシン。赤い液体が管を通って来るのを見たくなくて、ベッドに横になってじっと目を閉じていた。実は今日もお弁当を持って来ていたんだけれど、さすがに今日は点滴しながら食べる気にはなれなかった。

じっと様子を見ていた相棒が、
「すごい、スーパー早い!」
と言うので、目を開けてみると、成る程かなりの速度で点滴は落ちて、あっという間に空になった。

続いてシクロフォスファミドを点滴して終わり。タキソテールの時のように、血管を流す点滴は無し。

化学療法センターを出てエレベーターを待っていたら、何だか眉間の下、鼻の奥の辺りがツーンと痛くなってきた。何やろ。目の間を揉んで痛みを和らげようとするけど、中々治まらない。支払いの待ち時間の間にお手洗いに行ったら、赤い尿だった。話には聞いていたけれど、こんなにすぐに出るなんて、ちょっとびっくり。支払いを済ませて病院を出る頃にも、まだ鼻の奥の痛みは続いていた。

本日の支払い: 27,620 円也。
本日のお薬代:  1,170 円也。
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1つ目の電車を降りて街に出る頃には、眉間の下の痛みは消えていた。そうなると今度は、お腹が猛烈に空いてきた。もう3時過ぎてるからね。投与直後に食べたりして気持ち悪くなるかなー、とも思ったけど、空腹を抱えたままの方が気分が悪くなりそうだったので、駅前の花壇のある小さな公園の様なスペースで、持参のお弁当を3人で食べる。その後、母とは別れて二人で近くのスーパーをブラブラした。

白血球数が下がって来る前に生物を食べておこう、ということで今日の夕食は、スーパーで買ったお寿司。

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2005年9月9日(金)〜11日(日)   吐き気

9日(金)、朝から、ムカムカと気分が悪い。でも猛烈な吐き気、と言う程でもない。枕元に吐き気止めを置いておいたけど、飲まずに我慢出来る程度。

ところが、食堂に行った途端、ウッ、と強い吐き気が込み上げて来た。母がメロンパンにかぶり付いているのを見てしまったのだ。でも吐くのは何とかこらえた。吐く物が何も無かったのもあるけど、戻すのが癖になったらしんどそうなので、戻しそうになっても、出来るだけこらえようと思っていた。ちなみに、母が食べていたメロンパンは、ラグビーボール型で中に白あんが入っているやつ。

そういえば、抗がん剤投与の冊子の中に、起きがけに吐き気がある時には、起き上がる前にクラッカー等の水分の少ない物を口に入れると良い、と書いてたな。
「クラッカー買っとけば良かったなぁ」
と言うと、相棒が近くの店まで行って買って来てくれ、朝食はそのクラッカーだけで済ませた。

昼食は、食パンとゼリー、野菜少々。夕食は、おうどんを半分位。

10日(土)、前日程ではなかったけれど、ムカムカが続く。

11日(日)、ムカムカ感が、かなりましになって来たので、夕食には玄米ご飯の親子丼を完食。

それが、夕食後しばらくしてからお腹が痛くなってくる。食べ過ぎた時に起こるような腹痛で、消化の悪い玄米を丼1杯はまずかったかなー、と後悔。


2005年9月12日(月)   相棒のお兄さんからの連絡

相棒のお兄さんから相棒にメールで、お母さんが肺炎をおこした、との連絡がある。かなりのご高齢ということもあって、予断は許せない状態なのだそうだ。

「私は大丈夫だから、お母さんの側に行ってあげたら?」
と言うと、
「行っても、何も出来ないから。しぶとい人だから、持ち直す可能性も十分ある」
と、相棒は全く動こうとしない。今までの付き合いで、相棒とお母さんが決して良い関係にあるとは言えない、というのは分かってたけど。
「しばらく様子を見てみるよ」
と相棒は言う。そんな切迫した状態でもない、とでも思ってるのかな。

夜、右脇腹が痛くなってくる。昨日の玄米のせいかなぁ。


2005年9月13日(火)〜14日(水)   右脇腹痛

13日(火)、右脇腹の痛みが強くなってきて、夜には酷くなる。一体何なんだろう。こんな痛みは初めて。とにかく痛いので、横になっても左を下にして丸くなった姿勢しか出来ない。息を吸うとキリキリと痛むので、呼吸も浅くしか出来ない。痛みで何度も目が覚めて、この夜はほとんど眠れなかった。

14日(水)、お腹がかなり痛い。痛くて体を真っ直ぐに伸ばせない。歩くのもかなり辛い。いつになったら治まるんだろう。こんなんで、明日病院に行けるんかな。

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2005年9月15日(木)   その1: 血液検査・診察、乳腺超音波検査

昨夜は、何とか眠ることが出来た。腹痛も昨日よりはまし。どういう訳か、体調不良が病院に行く時になると、改善することがよくあるのよね。

今日も、病院へは相棒が付いて来てくれる。ましになっているとはいえ、まだお腹が痛いので、駅まで相棒の腕につかまって、ゆっくりと歩いて行った。

白血球数は5000で、ほとんど減っていなかった。いつもの様に、しこりに変化が無いか聞かれ、
「自分では何も気付かないですけど......」
と、いつもと同じ答え。小さくなってきていることを願って、毎日巻尺で大きさを測っているんだけど、今の所変化ナシ......80%の人には効き目が出る、とも聞いていたので、効かない20%に入ってるのかなぁ。乳がんになる22人に1人の日本人女性になってしまった、というだけでも、とんでもない貧乏くじ引いたよなぁ、と思っているのに、余程運が無いのかな。
「まあ、タキソテールに比べて、FECは徐々に効いてくることが多いので、続けて頑張りましょう」
と、I先生は励ましてくれる。

「この辺りがギリギリと痛むんですけど......」
と、右脇腹の痛みを訴えると、
「下痢とか便秘はしてないですか」
「いえ、全く無いです」
「どちらもしてない?子宮筋腫が痛んでるって訳でもなさそうだしねぇ。それだったら、もう少し下の方だし......痛み止めは出してましたっけ」
「使ってないロキソニンが5錠程あります」
前の病院で針生検の後処方して貰って、使わないままでいる鎮痛剤がまだある。
「じゃあ、そのロキソニンで対応して、様子見て下さい」
抗がん剤の冊子や他の情報でも、下痢や便秘、という副作用は載っているけど、右脇腹の痛み、というのは無かった。場所が、肝臓か胆嚢のある場所ではないかと思うので、まさか転移......?という不安が、又頭をもたげてきていた。先生の反応を見ると、よくあることなのかなぁ、と思い直す。


続いて、今日は超音波室での乳腺エコー検査も入っている。腹痛のせいで、台の上に横になるのが大変だった。少しでもお腹に力が入ると激痛が走るので、そろりそろりと片肘を突いて。苦労して何とか横になって、ふー、やれやれ、と思った拍子に、何かが台から滑り落ちた。

......うそでしょー......

検査の間、肩甲骨辺りに枕のような物をあてがうんだけど、それが床に落ちてしまった。又起き上がって拾うなんて気力、もう無いよー......

結局そのままにしておいて、入って来た技師さんに拾って貰う。前回と同じ女性の技師さんが、
「もうちょっと下に来て下さい」
と言うのだけど、そのちょっと位置をずらすのがまた大変。顔をしかめる私を見て、
「お腹痛いの?いつから?少しの間我慢できる?」
と聞いてくれる。仰向けの姿勢がかなり辛くて、診て貰っている時間が永遠のように感じられた。

本日の支払い: 1,300 円也。
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2005年9月15日(木)   その2: 「獄門島」を見て大爆笑

夕食後、相棒と二人で金田一耕助シリーズの「獄門島」を見る。いつものように、初めの方は私がいちいち相棒に説明していたのが、途中から面倒になって説明もいい加減になってくる、というパターンで見ていた。ドラマが終盤に差し掛かって、金田一耕助が船で島を離れる場面になって、急に相棒が、
「おおっ、凄い不思議!」
と、目を輝かせるので、何が?と、注意して画面を見ると......

海の上を走る船。船の上はかなり風にあおられている。

金田一のアップ。

「ほら、ほら」
と、相棒。

再び、船のロングショット。金田一の和装が風でバタバタとはためく。

再び、金田一のアップ。......なぜか髪の毛1本微動だにしていない。

思わずブッと吹き出す。まぁ、一昔前に製作された物だからねぇ。
「なんであんな急に風が止まるん?絶対変だ」
相棒のこの一言で、笑いのスイッチが入ってしまった。イタタタ......お腹が苦しぃ〜〜!少しでもお腹に力が入ると脇腹の痛みがギリギリとひどくなるのに、こりゃたまらん。

画面では、強風吹きすさぶ船上のショットと交互に、まるで静止画像みたいな見るからに不自然な金田一耕助のアップが、これでもかと何度も繰り返し映りその度に、すっかり調子に乗った相棒が、
「ほら、ほら!見て!凄い、これぞミステリー!」
などと叫ぶものだから、こちらはもう、もんどり打って笑いこける。
「やめてェ、お願い.....笑かさんといてぇーー!イタタタ、お腹イタイ〜〜」
と、ヒーヒー言いながら、息も絶え絶えに訴える。

いや参った。あんな苦しい思いをしたの初めて。たまらずに、痛み止めのロキソニンを飲んだ(^^;)。

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2005年9月16日(金)   焼き芋が主食になる、発熱

昨晩飲んだロキソニンのせいか、腹痛は少しましになってきている。

スーパーで買い物をしている時、立派なさつま芋が目に飛び込んで来る。その途端、あのホクホクした焼き芋とおいしそうな匂いが頭に浮かんできた。

焼き芋食べたい!すごく食べたい!

それで、買って帰ってすぐにオーブントースターで焼いて、頬張った。

ああ、おいしーーー......

この腹痛が始まってから、玄米はおろか白ご飯を、全く食べられなくなってしまっていて、替わりに食べやすい食パンを、毎食半枚程食べていた。食欲もほとんど無し、という状態が続いていたので、食べ物がおいしい、というのは久し振り。これなら結構食べられそう(^^)。

夜中に何だかゾクゾクした感じで目が覚めた。熱を測ると38.6度。白血球はそんなに低くなってないのに、何でかな。


2005年9月19日(月)   訃報

朝、相棒のお母さんが亡くなられた、とお兄さんから連絡が入る。一昨日危篤状態になった、と知らせがあって相棒には、早く行ってあげて、間に合わなくなるよ、と何度も言っていた。それなのに、
「今帰った所でどうしようもない」
の一点張りで今日まで来てしまって、とうとう手遅れになってしまった......
「イギリスを出る時にお別れはしてあったから」
等と言ってはいるけど、実のお母さんを亡くしたばかりの相棒に、何と声を掛ければいいのか分からなかった。

とにかくすぐに帰国しないといけないということで、航空券の日にちを変更して貰う為航空会社に電話して、明日のキャンセル待ちリストに載せて貰った。
「こういう時の為に、1つや2つ、席は空けてあるはず」
と、かなりの確信を持って相棒は言い、明日とにかく空港へ行くことになった。うまく席が取れて、お葬式に間に合えばいいけど......


2005年9月20(火)〜22日(木)   相棒イギリスへ

20日(火)今朝は5時に起きて、相棒に持たせるサンドイッチを作る。うまく行けば、相棒は10時の飛行機で香港経由でバンコクへ飛んで、更にドバイ経由でマンチェスターに向かう。関空行きバス発着所までタクシーで一緒に行って、相棒を見送ってから電車で帰って来た。相棒からその後、バンコクまでの飛行機の席が取れた、とメールがある。

21日(水)腹痛が大分治まって来たみたい。今夜の便でドバイ、そしてマンチェスターへ向かう、と相棒からメール。お葬式は金曜日の朝に決まったらしい。間に合うかな。

22日(木)マンチェスターに無事到着したけれど、預けた荷物が無くなった、と夜メールが来る。以前一緒にニュージーランドからマレーシアに向かった時、2人揃って荷物を失くされた事があるので、またか、という感じ。

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2005年9月23(金)   腹痛再び、生理周期の乱れ

今日母とスーパーまで歩いて行ったら、また右脇腹が痛くなってくる。あー、いつになったら治まるんかなぁ......

それと化学療法が始まってから、生理周期が2〜4週間の間で変動してかなり乱れていたのが、一昨日、前回から3週間とたたずにまた来た......?と思っていたら、2日で終わってしまった。これは不正出血と言う物なのか、はたまた、生理が乱れているだけなのか?もう訳分からん。

相棒から電話。お葬式は無事終わったとの事。荷物がまだ見つからないので、お兄さんの喪服を借りたそう。

相棒のお母さんには、イギリス滞在中に一度しか会ったことが無かったけれど、お年の割りにシャキッとしてて、とても気丈そうな方、という印象を受けたのを覚えている。93歳だったそうだ。長い間お疲れ様でした。どうぞ安らかにお眠り下さい......


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