乳がん治療手記6

針生検結果

2005年6月14日(火)   入院その後

朝には痛みはかなり引いていた。左肘を突いて何とか体を起こして、持って来てくれた蒸しタオルで体を拭いた。向かいの女性に、
「昨日は遅くにバタバタとうるさくしてすみません」
と言うと、
「いえいえ、全然知らなかった。ぐっすり寝てたから」
というお返事。母と同年代のこの女性は、昨日眼科で眼底(?)に血栓が見つかり、そのまま入院と言われこれから1週間掛けて点滴で治療するのだそうだ。
「いきなりでびっくりしたわ。昨日娘に色々持ってきてもらったけど、何か役に立たない物ばっかり。今日普通の病室に移るみたいだけど」

色々話していると、朝食がやって来た。生まれて初めての病院食。ベッドまで持ってきてくれて、上げ膳据え膳で嬉しかったけど、向かいの女性曰く、
「何か食べる気しないわ」
......同感。普通の食パンの2倍の厚さはありそうな分厚ーい食パンに紙パックの牛乳、冷凍モノを解凍したようなニンジンとグリンピース、それにいり卵みたいな物。牛乳は苦手だし、こんなに分厚い食パン食べたことがない。けれども、お腹は空いていたし、喉もカラカラだったので、とにかく全部詰め込んだ。朝食後、向かいの女性は看護師に連れられて、病棟へ移って行った。

入院書類に目を通していると、 N先生がやって来た。先生?!まだ8時半なってないですよ。昨日あんなに遅かったのにもう出て来てるんですか?とは言わなかったけれど、心底驚いた。傷を見て、
「とりあえず病室に移動してもらって、又午後に見せて貰いましょう」
ということで、看護師さんに連れられて病室へ移動。4人部屋で、各ベッドの周りにはピンクのカーテンが掛かっている。へー、今はこんなんなんや。今日午後退院だけど、とりあえず他の3人に挨拶。

その後すぐに若い看護師さんが体温を測りに来た。昨夜の顛末を聞いているらしく、
「寝る前で良かったですねー。寝てしまってからだったら、気が付かなかったでしょう」
言われてみれば、確かに。もし寝付いてしまってから出血してたらどうなってたんだろう?そのまま出血多量......?コワ〜......。体温は37度ちょっとあった。特にしんどいってことはないんだけど。
「あれ、何で微熱あるんかな?」
と言うと、
「そういう傷があると、熱は出ますよ」
そういうものですか。

程なくして、母がやって来た。着替えと洗面所から歯ブラシやコンタクト用品、財布の入ったカバンも持って来てくれた。ありがたい。
「こんなに早く来てくれなくても良かったのに」
と言いつつ、歯を磨き、洗わないまま着けていたコンタクトを洗ってスッキリする。もう帰ってもいい、といつ言われてもいいように、ズボンとシャツにも着替えた。その後は、とにかくヒマ!の一言。何も時間を潰す物がないので、ただベッドに座っているしかない。母に、もういいよ。帰ったら?と言ったんだけど、
「家にいても落ち着かないから」
と、帰ろうとしなかった。病院内を歩き回ったり、手術の時の入院に備え、公衆電話の場所を確認したりしたけど、すぐにする事がなくなった。

やっと昼食の時間になり、母も売店でお弁当を買って来て一緒に食べた。昼食メニューは、ドンブリ並みの大きなお椀にうま煮みたいな物と野菜の添え物とお味噌汁。野菜とお味噌汁はまあいいとして、あんなに大量のうま煮、食べられないんですけど......(-_-;)。

その後暇を持て余してもう限界、と思い始めた頃、N先生が傷を見に来た。
「まだちょっと出血してますねぇ。明日まで様子見た方がいいですね」
「えーー」
と、思わず言ってしまった。そんな明日まで一体どうしろっちゅうねん?
「それと、この前のエコーで肝臓の良性腫瘍あったでしょ。あれね、もう一回見せて貰いたいんですけど」
「えっ?」
一瞬血の気が引いた。どうして?
「造影剤入れて CT で見るのが一番いいんですけど、数ミリ単位で見ないといけないので......」
......って、良性って言うのは確実じゃなかったの?
「多分大丈夫だろうけど、念の為ね。明日朝一番にエコーするので、朝は食べないで下さいね」
と言い置いて、先生は出て行った。肝臓の腫瘍は転移かもしれないってこと?そんな......私はかなり青ざめていたんだと思う。
「大丈夫、大丈夫。肝臓に出来てても切ればいいんだから」
と、母が言う。もし転移だったら、切って済む問題じゃない。それが何を意味するのか、さんざん調べて分かっていた。が、母は分かってないのかもしれない。

その後、さすがに気分は落ち込んだ。しかし、何もする事がない上に昨夜の寝不足も手伝って、2時間程母と一緒にベッドの上で爆睡......(^_^;)。

母が帰って行って、余り食欲をそそらない早い夕食が終わると、本当にする事がなくなった。暇を持て余していると、斜め向かいの女性が色紙で作るくす玉の作り方を教えてくれた。四角い籠に入れてある、小さく切った色紙やはさみ、糊を使わせて貰いながら、カラフルなくす玉を2個作った。その女性は腎臓を悪くしてしまって、摘出手術をするのだそうだ。その後は、ずっと透析をしないといけないらしい。くす玉作りに熱中していると、すぐに消燈の時間になった。私も手術で入院する時は、工作道具でも持って来るかな。

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2005年6月15日(水)   再び肝臓エコー

次の朝、6時に一度起こされたけれど、朝食は食べられないし、どうせ9時頃までする事ないと思って、7時半過ぎまで寝ていた。洗面所で顔を洗っていると、ちょうどN先生が通りかかって、
「エコーするから、朝食べるのはちょっと待ってね」
と言ってすぐに去って行った。先生......まだ8時前なんですけど......もしかして病院で寝泊りしてるんですか?と又、口には出さないけど心の中で思う。あんなに忙しくしてて、体こわさないのかな......

8時半過ぎに看護師さんがやって来て、超音波室に連れて行ってくれた。すぐに N先生がエコーで見てくれる。前と同じ様に息を吸ったり吐いたり。時々映像をプリントアウトする音が聞こえる。
「はい、ご苦労様でした。こちらの傷はどうかな」
エコーは思ったよりも早く済み、胸の傷を確認する。
「もう大丈夫みたいですね。退院手続きするよう手配します。後で、看護師にガーゼ替えて貰って下さい」
先生はそのまま部屋の端にある電光板にフィルムを入れて、目を近付けて見ていた。その背中に向かって、
「あのー、今日はもうシャワーしてもいいでしょうか」
と聞くと、ほとんど上の空の様子で、構いませんよ、との返事だった。

病室に戻ると、部屋中シーツ交換の真っ最中だった。
「もう今日退院なので、りまこさんのは替えないでおきますね。ご飯は今ちょっと埃たってるから、部屋のシーツ交換終わったらピンポン鳴らして下さい」
と看護師さん。ほど良くお腹が空いていた。朝食は......昨日と同じ分厚いパンに牛乳、それとバナナ。

その後、退院の書類を受け取り、胸の傷にガーゼの代わりに透明シールを貼って貰った。
「防水だから、上から濡らしもいいですよ」
と言って、替えのシールも渡してくれた。

出て行く前に、部屋の人に又挨拶すると、
「良かったね。もう戻って来なくてもいいの?」
と聞くので、
「いえ、又入院します。手術しないといけないので......」
「あら、どこがお悪いの?」
「乳がんなんです」
「えぇー、お元気そうなのに」
と、又驚かれた。今は元気なんだけどね。でも、もし肝臓に転移してたら......

支払いの時、一昨日の検査料で請求漏れがあったとかで、入院費とは別に請求された。ああ、針生検した日の支払い、何だか安いなぁ、と思ってたのよね。

本日の支払い: 19,650 円(入院費、エコー)
 2,430 円(針生検追加費)
−−−−−−−−−−−−
22,080 円也。
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歩いて帰る道々、エコーをしていた今朝のN先生の様子を思い返した。画像にあんなに顔を近付けて一生懸命見ていた。肝臓の良性と悪性の腫瘍ってプロでもそんなに見分けが付きにくいのかな。そんな事を考えていると、お腹が痛くなってきた。生理が終わって2〜3日してからたまにある腹痛だ。まさかお腹にも転移してるってことないよね......

家に着くと、昨夜相棒から電話があった、と母から知らされた。
「ホスピタルって言ったら、分かってくれたみたいだけど......」
夕方相棒に電話して、出血騒動の顛末を話した。
「病院にいるって言うし、お母さんもすごく不安そうな声だったから、心配してた」
のだそうだ。二日入院したこと、肝臓エコーの再検査をしたことも話した。例によって結果はいつ出るのか聞くので、来週の月曜日、と答える。
「お母さんの病院どうなった?」
と聞くと、良さそうだと目を付けていた所には入れそうになく、もうちょっと探してみるつもりなのだそうだ。銀行の事を聞くと、
「来週には返金してくれるって言ってる」
ということで、そっちは解決しそう。

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2005年6月17日(金)   日記とマンガ原稿を捨てる

乳がんと分かってからも、ま何とかなるでしょ、と今までのほほんとしていたんだけれど、今回出血して入院したことで、そうのんびりもしていられなくなった。いつ何が起こってもおかしくない状況に自分は置かれているんだ、と初めて切迫した気持ちになっていた。そんなはずはない、と何度も否定しながらも、もしかしたら次の誕生日は迎えられないかもしれない......、そんな考えに囚われてしまっていた。

とにかく、来週の月曜日にエコーの結果を聞くまでは気に病んでも仕方がない、とは思うのだけど、今すぐにでもやっておかないと落ち着かないことが一つあった。中学高校時代に書き綴った日記や、マンガ原稿を処分しないと。一度、学生時代の教科書やマンガ雑誌を一斉処分したことがあったのだけど、いつか読んで若い頃の気持ちを思い出したい時があるかな、と日記と未完成のいくつかのマンガ原稿やイラストは後生大事においておいたのだ。

押入れにもぐって段ボール箱を引っ張り出して、思い出の品を取り出した。10冊近い日記帳は、いくつかに分けてスーパーのビニール袋に入れ、駅やコンビニにあるゴミ箱に捨てに行った。マンガ原稿とイラストは積み上げると10cm以上の厚さはあった。それを1時間程掛けてビリビリ破いてゴミ袋に入れた。どれも皆丹精込めて描いた物だったけれど、何かあった時家族に見られるかもしれないと思うと、とにかくもうこの世から無くしてしまいたかった。
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2005年6月18日(土)   相棒から電話

相棒から、お母さんの病院が見つかった、と電話がある。今手続きを進めているらしい。

詐欺に遭ってカラにされた口座の貯金は、銀行から無事返金されたそうだ。どうも、この手の詐欺が今横行しているのだそうな。日本ではあまりそういう話は表立って聞かないけど......

売りに出していた実家の方も、買い手が付きそうで、問題は一気に解決、といった感じ。だけど、家を引き渡すとなると、きれいに掃除して、家具や日用品を処分しないといけない。相棒が育った家、相棒のお母さんが恐らく50年程も生活していた家の中の物を全て処分するのは、さぞかし大仕事になるだろうなぁ。お母さんの洋服とか、相棒の私物はもちろんのこと、お兄さんの物もありそうだし、亡くなったお父さんが残した品もあるだろう。想像しただけでも大変そう......私がこんな状態じゃなかったら、飛んで行って手伝えるのに......

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2005年6月20日(月)   針生検・肝エコー結果、治療法提示、胸部X線、心電図

退院してからこの日までは、長かった。食事の後歩くと、時々チリチリと右腹部が痛んだ。肝臓に転移した時の症状に、右腹部の締め付けられるような違和感や痛み、というのがあった。ああ、やっぱりそうなのかな、とますます落ち込む。何か悪いことがあっても全て私に話して下さい、なんて威勢のいいこと先生に言ったけど、悪い結果なんて聞きたくない、聞きたくない......

この日も母に一緒に来て貰った。我ながら情けないけど、もし悪い結果だったらとても一人では耐えられそうにない。予約は朝一番に入っていたので待つことなくすぐに呼ばれた。

「えー、針生検の結果ですけど」
N先生はまず、一枚の紙を渡してくれる。
「充実腺管がんといって、ごくごく普通のがんです」
と、紙に書いてあることを説明し始める。
「悪性度3というのは、まあ、どちらかといえば羊ではなくオオカミタイプです」
何段階の内の3なんだろう。続いて、リンパ管侵襲高度。よく分からないけど、これも何か悪そうやな。リンパ節細胞診転移あり(クラス5、悪性)。やっぱり。HER2スコア0。エストロゲン受容体陽性、プロゲステロン受容体陽性。ホルモン療法もするってことだな。T2N1M0、UB期。胸筋に浸潤している可能性あり。

「先に薬で腫瘍を小さくしてから手術した方が良いと思います」
従来なら手術の後にする抗がん剤を術前に投与することが増えている、というのは情報を集めて知っていた。いや、そんなことより。
「この前のエコーで見て頂いた肝臓の腫瘍は......」
「ああ、転移ではないですよ」
「......はあ、良かった......」
と又、親子でため息。......ですから先生、それを先に言って下さいってば〜〜(T_T)。
「それで、その術前にする化学療法ですが」
と、N先生は話を元に戻す。
「大体7〜8割位の人で腫瘍が小さくなって、それで腫瘍が無くなる人もいます」
「ええー」
と驚きの声を上げたのは母。私を見て、
「良かったねぇ」
と言う。無くなる人もいる、と聞いただけで、母はもうそれが私に起こるものだと信じてるみたい。
「それで今、こういう臨床試験をしてるのですが」
と、先生は別の書類を差し出した。そして紙に書きながら説明を始める。

エピルビシンという赤い薬とシクロフォスファミドというのを組み合わせて(EC)3週間ごとに点滴、それを4回繰り返す。その後、手術。手術の後今度は、タキソール(T)というのを週1回3週間投与するのをこれも4回繰り返す。又はTを術前、ECを術後に投与する。どちらが優れているかは分からない。そして、どちらになるかはランダムに決められて、自分では選択出来ないらしい。副作用についても説明があった。吐き気、脱毛、手足のしびれ......仕方ないよなぁ。やるしかないんだから。
「治療に耐えられるかどうか、心臓の機能を調べます。説明書は良く読んで同意したら署名して下さい」
ということで、ひとまず診察室を出た。

何枚か綴りになっているその説明書には、臨床試験の目的、投与方法、副作用、他の治療法等が記してあり、参加するかどうかは患者の自由であり、断った場合でも不利益を受けることはない、と書いてある。試験の目的は良く理解出来た。でも、この治療が私にとって最良なのかどうか。それが知りたい。他の治療法には、アドリアマイシンとシクロフォスファミド(AC)の後タキソール(T)を追加投与する方法があり、私のようにリンパ節に転移した乳がんが再発するのを17%少なくする、と書いてあった。説明書に載っている情報から単純に考えれば、これが一番のようにも思える。聞いてみよう。

先生に質問がある、と看護師さんに言うと、しばらくして診察室に呼ばれた。この臨床試験での方法が私の病状にはベストの治療法なのですか、と聞くと、
「ここではそうです」
とのお返事。うーん、困った。アドリアマイシンとエピルビシンの違いを聞くと、ほとんど同じ様な作用をするが、アドリアマイシンには心毒性がある、ということだった。どうするか決める前に、もうちょっと調べてみる必要があるな。インターネットで調べられるだろうし。先生には、ちょっと考えさせて下さい、と言って診察室を出た。

その後看護師さんに言われて、心臓のX線を撮りに行き、安静状態と、二段の階段を上ったり下りたりした後の心電図を測った。心臓のエコーの予約を入れてその日は終わり。

本日の支払い: 2,280 円也。
−−−−−−−−−−−−−−

その足で本屋さんへ向かい、乳がん関連の本を読み漁った。今までは、この病気の基本情報や手術に関しての情報を中心に何となく読んでいたんだけれど、自分のがんの情報を得たことによって、知りたいことがかなりはっきりしていた。

まずは、UB期というステージの場合の生存率......やっぱり5年10年と経つ内にガクンと下がってしまう。まあ、これはあくまでも確立なので、あまり気にしても仕方ないよね......悪性度は、3段階の内の3だった。そして今まであまり良く見てなかったホルモン療法について。でも、今一番知りたい抗がん剤の組み合わせと投与法の違いによる、奏功率の違いについて詳しく書いてある本は見つからなかった。やっぱりインターネットで調べた方が良さそうだ。

その晩相棒から電話。肝臓は大丈夫だったこと、手術の前後に化学療法をすることになりそうだということを伝えた。どういう組み合わせで抗がん剤治療をすることになっても、一通り治療を終えるまで6〜7ヶ月は掛かるだろう。今年はニュージーランド行きは諦めないとダメだろうな。そう言うと、
「そのことは全然心配しなくていい。とにかくちゃんと治療するのが肝心なんだから」
と、相棒。取り急ぎは、情報集めだな。


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